以前「推しのグッズの量=推しへの愛の大きさ」という言葉をX(旧Twitter)で見かけました。嫌悪感を抱かれることもある考え方ですが、私は一概に間違っているとは思いません。推しへの愛や応援の方法は、人それぞれ違うと思うからです。(高校生記者・涼風=2年)

グッズの量=愛?

Xで「推しのグッズの量=推しへの愛の大きさ」という考えを見かけます。「グッズの数と愛は比例するから当たり前」と感じる人もいれば、なかなかグッズを買えず「そんな考えはありえない」と感じる人もいると思います。私は一概に「推しのグッズの量=推しへの愛の大きさ」という考え方が間違っている訳ではないと思います。

推しのアクスタを連れてお出掛け

しかし、「推しのグッズの量=推しへの愛」と決めつけられることに嫌悪感を抱く人もいます。その理由として、一部の人による押し付けやマウント行為などがあると私は考えます。どうしてもグッズをたくさん買えない事情がある人もいるのに、Xでは、「グッズをたくさん持っているのはその分たくさん貢いだから。グッズが少ない人たちと同じにしてほしくない」と発信している人などがいるのです。

価値観の押しつけはNG

SNSでは「痛バッグ(推しのグッズで飾り付けたバッグ)の中に入れる缶バッジは絵柄を全てそろえなければいけない」「CDを何十枚、何百枚と買って売り上げに貢献しないといけない」などと言っている人がいるのです。その考えも、他者に押し付けなければ嫌悪感を抱かれることはなかったと思います。しかし一部の人のマウントがマウントを取るように発信することによって、「推しのグッズの量=推しへの愛の大きさ」と考える人全体のイメージが「マウントを取る人たち」「他者に考えを押し付ける人たち」という風になってしまったと感じます。

推しの誕生日にぬいぐるみとケーキを並べて撮った写真

推しへの愛や応援する形は人それぞれです。グッズを集めることが愛であると感じる人もいれば、推しの動画を見たり、歌を聞いたりすることを愛だと感じる人もいると思います。自分の価値観を人に押し付けないことは、快適な推し活をするための基本です。

皆さん、推しへの愛は何によって量れると思いますか?