東京都の高校生起業家養成プログラム「起業スタートダッシュ」では、都内の高校を対象に、教育教材の無料提供を行っている(先着30校程度)。この教材を活用した授業実践に取り組む、東京電機大学中学校・高等学校 専任教諭の池田巧先生に、活用にあたって工夫した点や生徒たちに見られた変化などを聞いた。(安永美穂)
「好き」と「できる」で生徒自身の強みを引き出す
探究型アントレプレナーシップ教育教材「『好き』と『できる』で生み出すアイデア」は、高校生が「好きなこと」「できること」「知っている人」という自身が今持っている「資源」を1つずつ付箋に書き出してチームで共有し、複数の付箋を組み合わせることで新たなアイデアを生み出す体験ができる教材だ。ワークシート、グループワーク用の付箋、指導案、授業スライド、起業家インタビュー動画など、授業に必要な一式が含まれている。
最大の特長は、生徒が自らの可能性に気づくきっかけを作ると同時に、成功した起業家に共通する思考プロセスを体系化した「エフェクチュエーション」の理論を学べること。ゴールや達成目標から逆算するのではなく、今現在自分が持っていること、できることから考えるというのがエフェクチュエーション。自分自身が持っている資源を生かす「手中の鳥」の原則や、多様な関係者とパートナーシップを構築する「クレイジーキルト」の原則などを、ワークを通じた実体験を踏まえながら学べる構成となっている。
この教材を用いた授業やワークショップを延べ10回以上実施している、東京電機大学中学校・高等学校の社会科教諭の池田巧先生は、教材を初めて見たときの感想を次のように語る。
「通常の授業が、『ねらいの提示→内容の伝達や演習→確認・まとめ』という流れで展開されるのに対して、この教材では早い段階から生徒自身の『好き』や『できる』を書き出すワークに取り組む点が新鮮でした。教員が『教える』のではなく、生徒が持っているものを『引き出す』教材という印象があり、『これを使えたら楽しいだろうな』というワクワク感がありました」
池田先生はこれまでに中学3年生と高校2年生の授業で、この教材を活用している。
中3の授業では、「公民」の社会課題を扱う授業で、個人ではなくグループ単位で課題解決に取り組む方法を考えるツールとして活用。生徒たちが持つ資源を可視化し、実社会で求められる協働のためのアイデアを引き出すことを目指した。
高2の「公共」の授業では、ビジネスコンテストに臨む導入として活用。各自が持っている資源を可視化することで、アイデア出しや役割分担がスムーズに行えるようになったという。
「同じクラスでも、普段接点の少ないメンバーなど、あえて属性や興味が異なる人々でグループを編成することで、この教材による学び合いはより深くなると感じています。自分の資源を書き出して共有するワークは自己紹介にもなり、生徒同士はもちろん、教員が生徒を知るツールとしても有効です。アントレプレナーシップ教育としての文脈だけではなく、年度初めの『クラス開き』の際などにも活用すると良いのではないでしょうか」
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自己分析の足場を組むための働きかけが重要
生徒たちからは、「『自分はこんな人だったんだ』と新しい一面を発見できた」「友達が持っているスキルを知り、相手への理解が深まった」といった感想が寄せられたという。また、特に親しくなかったクラスメートに対しても、一人ひとりに大事な個性があると気づいたことで互いにリスペクトし合う雰囲気が生まれ、関係性がより良好になったそうだ。
「好意的な反応が多い一方で『自分の好きなことならたくさん書き出せると思っていたけれど、全く書けなかった』など、自己理解の難しさを実感したという声もありました。教員はただ『書いてみましょう』と投げかけるだけではなく、自己分析を進めるための足場を組むイメージで、生徒自身の気づきや言葉を引き出す働きかけをすることが重要だと思います」
具体的な働きかけとして、池田先生は「去年や今年から新しく始めたことはある?」「この1年間で連絡を取った人の中で、意外なスキルを持っていた人はいる?」「この1年のうちに校外で新しく出会った人はいる?」などの声かけをしているそうだ。
また、「誰かに『教えてほしい』『力を貸してほしい』とおねだりした経験はある?」と問いかけてみると、「できることをさらに上達させようとした経験」や、そのときに力を貸してくれた「知っている人」を思い出す生徒が多かったという。
「AIで知識が容易に得られる時代において、教員の役割は知識を教えることから、生徒自身が気づいていない価値を引き出し、価値づけをすることへと変化しています。適切な声かけは必要ですが、この教材はその価値づけに不可欠な生徒一人ひとりの個性や強みを知るきっかけとして役立つものだと思います」
教材を活用してルーティンを抜け出す「場づくり」を
「課題解決というと、『気候変動や貧困問題』といった大きなテーマを掲げる生徒が多く、具体的に何から始めれば良いかというアイデアが浮かばないケースが少なくない」と指摘する池田先生は、この教材を活用した際の生徒の変化について次のように語る。
「各自の『資源』を1つずつ付箋に書き出し、その付箋を何枚もつなげながらアイデアを出していくことで、身近な課題に対してできることをイメージしやすくなり、課題解決が“自分ごと”のプロジェクトになっていきます」
実際に、池田先生の授業を受けて起業に興味を持ち、「起業スタートダッシュ」の養成講座を受講して具体的なビジネスプランを形にすることに挑戦した生徒もいるそうだ。
パートナーシップを重視する起業家の思考スタイルは、異なるサイズや色の布を縫い合わせて作る「クレイジーキルト」にたとえられている。池田先生は「学校はまさにクレイジーキルトの宝庫」と言い、さまざまな人の「好きなこと」「できること」「知っている人」を組み合わせることで、「自分ひとりではできないことも実現できる」と身をもって学ぶ機会になるのだという。
「この教材を初めて導入する学校では、文化祭や体育祭などの企画を生徒たちが考える際に使ってみるのも良いと思います。実現可能だけれどもこれまで思いつかなかったアイデアが出て、生徒たちが『自分たちには意外とできることがある』と気づくきっかけになるはずです」
池田先生は、教員の組織開発の一環として、教員同士でこの教材に取り組んでみたこともあるという。
「教員の相互理解が進むと、ボトムアップでの学校改善にもつながります。この教材に取り組むことで、それぞれの先生がどんな強みや人脈を持っているかが見えてくると、探究学習の授業で何をやるかを考える上でも役立ちます」
これまで数多くの生徒をビジネスコンテストに送り出してきた池田先生は、昨今の生成AIのインパクトを認めつつも、自らの思いや熱量こそが重要だと考えている。
「ビジネスプランは生成AIで作れます。一見すごく良い感じの内容ができるのですが、そこに『思い』が付随していないんですよ。だから『他人事のビジネスプラン』ができあがるんです。大事なのはそこに自分の熱量があったり、誰かのための思いがあったり、ひとりでに動き始めたりすること。さらに、何度も意見を聞いて、プランの改善を繰り返すようなことは、熱量がないとできません。だからこそ、『本当にこれをやりたい』という熱量を伴った課題解決ができる人を育てることが重要。そのためのスタート地点として、自己理解・他者理解の重要性は増していくはずです」
そう語る池田先生は、アントレプレナーシップ教育を採り入れることで「自分の思いや資源を出発点にすること」につながると考えており、東京都の「起業スタートダッシュ」の取り組みには大きな期待を寄せている。
「学校現場は“例年通り”のルーティンが重んじられる環境ですが、これからの時代においては、今まで学校では実現できていなかった新しい価値を作っていくことも重要です。アントレプレナーシップ教育は、ルーティンの中にはない『場づくり』『ものづくり』『ことづくり』のきっかけとなるものだと言えるでしょう。東京都のように行政が支援する形で、こうした取り組みを学校現場にどんどん浸透させていってほしいと願っています」
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- 池田巧(いけだ・たくみ)
- 東京電機大学中学校・高等学校 社会科専任教諭。2013年より、起業家教育・金融経済教育の推進に取り組む。早稲田大学大学院 経営管理研究科 MBA取得。
- 提供:東京都

