来春に創立20周年を迎える目白大学が9月19日、世界陸上の銅メダリスト・為末大氏の講演会(保健医療学部主催)を開催した。講演に先だって、佐藤弘毅学長は「心身の鍛練と熱い情熱、科学的な自己管理など、為末氏の生き方には保健医療学部のめざすところと相通ずるものがある」とあいさつ。講演後は聴衆から質問が続出するなど、大いに盛り上がった。
短距離からハードルに転向
為末氏の演題は「ハードルを 越える」。競技人生で体験した数々の試練をどう乗り越えてきたのか、過去のレース映像などを交えながら振り返った。
8歳から陸上を始め、中学3年の時には100m・200mなど6種目で全国1位になるなど、自他ともに認める“スーパー中学生” だった。「いつも2位の選手に10 mくらい差をつけていた。将来 は100mの選手としてオリンピックでメダルを取ろうと思っていました」と当時を振り返った。
ところが高校生になると、他の選手との差が縮まり始める。焦りを感じ、それまで以上の練習に打ち込んだが、高3の県大会で は200m決勝で初めての敗北を経験した。「悔しかったし、悩み ました。自分なりにいろいろ調べて、高校までの自分は人より体 の成長が早い“早熟型”であっただけだと気がついた」という。
大学入学を機にハードル選手に転向する。「自分の夢は世界で勝負すること。100mでは無理でも、ハードルならそれが叶うのではないかと思った。自分が “選ばれた人間”ではないことを認めるのは辛かったけれど、自分は自分にできることをやっていこうと考えました」。これが「侍ハードラー」へのスタートだった。
五輪での転倒をバネに
2000年、22歳のときに400㍍ 障害の代表としてシドニー五輪 に出場したが、予選で転倒して惨敗。このときの映像を流しながら「これが人生で最初のオリンピックで、初めての転倒でした。ユニフォームがバタつくほど 風が吹いていました。日本ではあまりないこと。どのくらいスピードを出すべきか、どのくらいの歩幅で走るべきか経験のない僕にはわからなかったのです」と話した。
雪辱を期して起こした行動は、単身での世界の賞金レース転戦だった。海外の強豪たちと戦い続け、2001年の世界陸上(カナダ・エドモントン)で日本人として初めて銅メダルを獲得。その後、故障もあり再び陥ったスランプを乗り越え、2005年の世界陸上(フィンランド・ヘルシンキ)で復活した。暴風雨の悪天候のなか、豊富な経験を生かした冷静な走りで2度目の銅メダルを獲得した。「シドニーでの転倒がなければ、2つのメダルは取れなかったかもしれません。失敗の意味はその後の生き方によって変わってくるのです」と話しながら、為末氏は人生のハードルを越えるために重要なポイントを3つあげた。
1 動き続ける 2 時々眺める 3 見方を変える
「なかでも大切なのが『見方を変える』こと。起きてしまったマイナスの出来事そのものではなく、残された可能性の方を見ることが大事。それが希望というのだと思います」と力強い言葉で締めくくった。
講演後、保健医療学部長の齋藤佐和教授は「25年間にわたる競技生活を振り返り、為末さんというアスリートの軌跡と魅力が十分に伝わる講演会でした。高校生の皆さんは、大学受験や就職など、これからさまざまなハードルに直面するかと思いますが、そのハードルを明確に意識することが成長の第一歩である と感じました。成長も失敗もしっかりと受け止めてこられた為末さんの生き方は大きな励ましになりました」と来場した高校生・大学生らにメッセージを贈った。