2020年のコロナ禍によって、私たちのコミュニケーションは大きく変わったと言われており、それは、現在継続している部分もある。明治大学 総合数理学部 小林稔教授は、コミュニケーションとは何なのかを見据えたうえで、「人」そのものを理解することに繋げる研究を進めている。

コロナ禍で進展した新しいコミュニケーションの形

コロナ禍の時期は、人と直接会って話すことが減り、インターネットを介したオンライン形式によるコミュニケーションが増えた。

「この変化はコロナ禍によって新たに生まれたわけではなく、むしろ、日本では遅れ気味だったインターネットに接続された道具の活用が、大きく進展したと言えます」

と話す小林先生。つまり、そもそも社会は、そうした新たな道具を使う方向に進んでおり、コロナ禍はその普及のきっかけになったという見方もあるのだ。

同様に、以前であれば、マスクをしたまま話すことは、場合によってはとても失礼なことだったが、それらは、むしろ人に安心感を与える行為になっている。

「現在はマスクなどない、満面の表情がわかる状態で会話をする生活に戻ることを期待する人の方が多いでしょう。一方で、コンピュータやインターネットを活用した生活が、コロナ前に戻るかというと、そうはならないと思います。大学では対面の授業に戻っていますが、テレワークがすべてなくなることはないでしょう。それは、こうした道具によって様々な利便性を享受できることが、多くの人の間で認識できたからです」

小林稔教授

 

 

 

 

 

 

実際、デジタルネイティブと言われる世代は、それ以前の世代とは既に異なる生活スタイルをもっているようにも見える。そのなかで、コミュニケーションのあり方や、その本質も変容しているのかに関心をもち、研究を進めているのが小林先生の研究室だ。

車線変更時に起きることもコミュニケーションのひとつ

その研究分野のひとつが、コンピュータを使って人と人の協同作業を支援することに取り組むC SCW(computer supported cooperative work)だ。そこでは、人と機械との関わり方が大きなテーマになる。

「重要なのは、それが人にとって、どういう意味や価値をもたらすのかという視点で見ること。つまり、人を中心に考えることです。機械やAIが進歩し、人がそれに振り回されるようになるというのは古典的なSFによくあるストーリーですが、現実の人は、柔軟である一方、本質的な部分はなかなか変わることはないのではないかと思います」

どんなに便利な道具が開発されても、普及しなかったり、意外な使い方をされたり、意外な価値を見出されることがある。つまり、人は道具によって変わることもあるし、コミュニケーションの手段を多様化させたりもするが、その道具が使われること自体が、人の選択なのだと小林先生は考えている。

開発したシステムを動かして遊んでいる様子

「たとえば、自動運転車が実用化されれば、交通事故は激減するでしょうし、今までよりも早く楽に移動することができるようになるでしょう。車線変更にドキドキすることもなくなります。でも、車線変更のときにスペースを空けて合流させてくれた人に対して感じる、うれしいような気持ちも、もう感じることはなくなります。それは、ウインカーを出し、それが伝わればそれで完成、ではないからこそ生まれる気持ちです。つまり、車線変更で起こっていることも、人と人のコミュニケーションなのだと思います」

利便性が高い一方で、人と人のコミュニケーションや関係性が希薄になるような自動運転車は、どのように選択され、普及するのだろうか。あるいは、意外な使われ方をするようになるのかもしれない。

「こうした例も、私がウォッチングしていきたいと思っている、『人と機械の関わり方』のひとつなのです」

提供:明治大学