ロンドンパラリンピックに日本選手団最年少で出場した若杉遥(東京・筑波大付視覚特別支援学校高等部2年)=東京・八王子盲学校中等部出身。日本パラリンピック史上初となる団体球技での金メダル獲得を成し遂げたゴールボール日本代表の一員だ。(文・写真 小野哲史)

今から3年前、若杉は病で視力をほぼ失い、八王子盲学校に転校した。数カ月後、先生に誘われて初めてゴールボールと出会う。それまで陸上の短距離や砲丸投げ、アイスホッケーに打ち込むなど、体を動かすことが好きだったこともあり、「目が見えなくてもスポーツは楽しい」とゴールボールに熱中した。

筑波大付視覚特別支援学校に進学後は、先輩や卒業生とともに学校でゴールボールの練習を週3~5日、陸上トレーニングを週2日、それぞれ約2時間行っている。さらに腹筋、腕立て、壁倒立、ほふく前進といった筋力トレーニングも週2日欠かさない。休みは週1日あるかないかだ。昨年の夏に日本代表合宿に参加するようになってパラリンピックを目指すことになった。

 

その憧れの舞台で、若杉は予選のカナダ戦と準決勝のスウェーデン戦のエキストラスローに出場。「緊張やプレッシャーを感じてしまい、自分の力を出し切るのが難しかった」と反省しつつも、「ミスをカバーしていただいた先輩方に感謝です」と振り返る。

世界ランク1位の中国との決勝戦ではベンチで戦況を見守ることになったが、「一緒に戦う気持ち」でコートの先輩たちを盛り上げた。接戦を制して優勝を決めた瞬間は「涙が止まらなかった」と言う。表彰式で金メダルを首にかけてもらい、ずっしりと重みを感じたようだ。 大会が終わった瞬間、若杉には一つの目標ができた。「プレッシャーに打ち勝つ精神力を身につけて、4年後のリオデジャネイロのパラリンピックでは主力として活躍したい」。決勝の舞台に立てなかった悔しさは、リオで晴らすしかない。

 


プロフィル
わかすぎ・はるか 1995 年8月23 日、福岡県生まれ。2011 年の日本選手権では、学校のOG たちと「チーム付属」を結成して臨み3 位を獲得した。ポジションは主にレフト。163センチ、60キロ。家族は両親と弟。

◆一口メモ◆
ニックネーム 遥、若さま
趣味 音楽鑑賞(西野カナ、いきものがかり)
好きな作家 森絵都、あさのあつこ
スランプ脱出法 常にポジティブに考える。友達に話を聞いてもらう
好きな教科 社会や歴史。苦手なのは数学

ゴールボールとは
アイシェード(目隠し)を着用した3 人編成のチーム同士で競う。バレーボールとほぼ同じ大きさのコート内で、鈴入りボールを転がすように投球し合い相手ゴールにボールを入れる。一定時間内に得点の多いチームが勝ち。ロンドンパラリンピックには男女各10 カ国が出場した。