今春、修学旅行に参加した。海外へ修学旅行に行く他校の友人の話を聞き、「僕の高校はなぜ沖縄なのか」と、最初は不満を持った。いまいち気乗りしないまま出発した。だが、予想もしない展開となり、初めて「修学」の意味を考え自問することになった。

沖縄で見た美しい空

生ぬるい生活を送る自分に気づいた  

初日は、戦時中、激戦地となった壕や戦跡を辿った。今までに感じたことのない心のざわつきと共に、同年代の生徒達の無念の死を思うと、「僕は生ぬるい生活を送っている」と脱力感が襲った。戦時中を過ごした高校生に、自分を置き換えようとしたが、到底できそうにもなかった。

てのひらから伝わってきた戦争経験

翌日は、小さな島の民家に泊まる機会があった。そこに住まうおじいさんから戦争の話を聞き、最後に握手した。てのひらには、戦後の沖縄でどう生きてきたか、人生の全てが詰まっているように感じた。余計な説明の言葉など要らなかった。
  冷静に物事を見ることができつつある高校生時代。目と耳を存分に活かし、過去、現在、そして未来について考えてみてはどうだろうか。その時あなたなら修学旅行でどこに行きたいだろう。(フォースター・ケイデン・3年)