ボンジョルノ! 私は、イタリアのインターナショナルスクールに2年間留学中です。日本とは異なった生活についてお届けします。7回目となる今回は、最近友達の間でよく話していることを振り返ってみました。(高校生記者・ 一丸暖歌=3年)

モンテネグロ、ブラジル、ラトビアなどさまざまな国籍の生徒が通う

世界80カ国の生徒が集まっても感じる 欧米のノリ重視の空気

毎年、入学月(9月)から3カ月ほど経ったこの時期。生徒たちの間では、学校生活を送ると感じる「欧米中心の風潮」についての話題が、よく持ち上がります。私の学校は2学年制で、200人と小規模。出身国・地域の構成は、大まかにアジア・中東30%、西欧・北米25%、東欧17%、 アフリカ15%、南米13%です。世界80カ国の生徒と暮らしていて、もちろん、唯一の共通言語は英語。出身国がさまざまなので英語力に差があるのは当然です。

問題なのは、人との関わり方が欧米流の「ノリ」に基づいていること。学校には、難民キャンプ出身の子、芸術の才能溢れる子、社会主義的な考えを持つ子など、多様性に富んだ生徒たちがいて、互いを認め合う居心地の良い雰囲気が流れています。それでも、まだ特に仲の良い友達ができる前の1年生の時期は、いわゆる「コミュ力」の高さが重んじられる空気があることも、また事実です。

欧米的な冗談を学んで必死だった

私も昨年の今頃を振り返ってみれば、欧米的な冗談の言い合い方を学び、話したことのない人でも部屋を訪ねる気軽さを身につけるべく、欧米出身の生徒との対人スキルの差を縮めようと必死でした。また、入学前に想像していたような「国が違っても全員が仲の良い理想郷」とは異なり、友達グループが存在する生活にがっかりもしていました。

これは学校に欧米中心の風潮が定着しているから起こる問題です。「英語を使っているから」「欧米人の割合が多いから」、欧米中心になるのはある程度は許されるのでしょう。また 、一部の文化ではタブーとされる「LGBTQ+」についてオープンに話すなど、日本とは違ったやり取りをしたことで私自身成長したと思うことも多々あります。

多様性を尊重することって何だろう

そもそも「完全に文化的に中立な場」を作ることができるのかは疑問ですし、特定の文化の影響を受けることは、一概に良し悪しを線引きできるものでもありません。そんな葛藤の中、パレスチナ人の女の子の一言が心に残っています。「出身構成に占める割合が多いから欧米文化の存在感が大きいのは仕方がない。でも、だからと言ってその流れに安易に乗るのではなく、その他の地域出身の私達が努力していることは忘れないようにしよう。相手の生活がスムーズに行くように誰もが少しでも努力するべきだ」

1年が経ち、いつの間にかここでの生活に慣れた私にとっては、改めて「周りの人に目を向けることの重要性」に気付かされる言葉でした。元とは違う環境で暮らす人全員が大事にすることが必要だと思います。誰もがこの心構えを持って人と接する事ができれば、真に多様性を尊重できたと言えるのではないでしょうか。

イタリア人の友達の誕生日パーティー