「ポピュラー・カルチャー研究」を専門分野とする創価大学文学部の森下達准教授。先生ご自身やゼミに所属する学生たちがどのような研究をしているのか、また、ポピュラー・カルチャーを追究する魅力について話を聞いた。

ポピュラー・カルチャーってそもそも何?

ポピュラー・カルチャー。聞き慣れた言葉だが、その定義について森下先生に聞いてみると、「縛りはない」とのこと。

「私たちが日々親しんでいるポピュラーな文化なら、すべてポピュラー・カルチャーと呼んでかまいません。ファッションやマンガ、アニメ、You Tube、TikTokもポピュラー・カルチャーです」

創価大学文学部 森下達准教授

その歴史を深掘りすると、昔は「大衆文化」「サブカルチャー」と呼ばれていたという。「大衆文化は知識人と対立する大衆の文化というニュアンスを、サブカルチャーは、文学や芸術など社会的に価値を認められた『メインカルチャー』に対する『サブ』の文化という位置づけでした。しかし、現代では『知識人』は以前のように目立った地位を占めていませんし、『メインカルチャー』と呼ぶべきものも十分に機能していません。この現状を踏まえ、『ポピュラー・カルチャー』という呼び方が登場しました」

キャラクター重視になる以前の「オタク文化」事情とは?

なかでも森下先生が取り組んできた研究のひとつが「戦後日本における特撮映画とSFのジャンル的確立」だ。

「現在は、送り手・受け手ともにキャラクター重視になっています。しかし当時は作品の政治的・社会的価値を論じる姿勢がありました。なぜ、政治性・社会性がポピュラー・カルチャーから見られなくなったのか、この点を『ゴジラ』などを題材に、特撮映画・SFのジャンル形成と変容を通じて考えています」と森下先生。

森下准教授の研究室の真ん中にはゴジラの模型が鎮座している

私たちはふだん、自分の好きなポピュラー・カルチャーを楽しむだけで終わってしまうことがほとんどだ。では、それを「学問」として研究するおもしろさはどこにあるのだろうか。

一つは「自分が好きなものの意味や価値を突き詰められること」だという。

「たとえばゴジラ。今(2023年12月現在)、最新作の『ゴジラ −1.0』が公開されていますが、第一作目は約70年前の1954年に公開されました。その当時は、『SF』という言葉すらない時代で、評論家や批評家からは『原爆映画』とか『戦争映画』との連続性のもとで受け止められていた部分もあります。その後の平成ゴジラシリーズ(1984年公開『ゴジラ』から1995年公開『ゴジラvsデストロイア』まで)の頃は、すでにSFや怪獣映画というジャンルが確立されており、そのジャンルのなかで論じられる存在になっていました」

さらに、現在の『ゴジラ ー1.0』と各作品の違いについて森下先生はこう語る。

「現代はそもそも作品の批評や批判をしなくなってきています。『ゴジラとはこうあるべきなんだ』という論調が強くないですし、作り手の方でもその意識が薄れてきていると感じます。2016年公開の『シン・ゴジラ』では、まだ3.11も踏まえた原発の象徴に位置付けようとしていますが、『ゴジラ ー1.0』ではそういう要素もなくなり、どんどんエンタメに特化してきている感じがします。『でかい怪獣が出てきたらどう倒すのか』というところに振り切っている部分があります」

研究を通じ、知っていたつもりのものが違う見え方を示すようになることは、つまり「知的な喜びにあふれている研究分野」なのだと森下先生は説明する。

もう一つは、その文化を生んだ現代社会の在り方を深く知ることができることだという。「どんな社会事情がその文化を生んだのかがわかると、それを生かして、今とは違う文化や社会の在り方も考えられるようになります」とのこと。

「『今』を絶対視せず、相対化できるきっかけを与えてくれるところに、ポピュラー・カルチャー研究のおもしろさがありますし、これは論理的に考えることの訓練にもなります」と森下先生。

命がけでポピュラー・カルチャーに触れて自分探しをする

森下先生は、最後にこんなメッセージをくれた。

「好きなものを見つけ、それを『好きだ』と胸を張って主張してください。そうすることで、それを好きになった『自分』も浮かび上がってきます。この経験を積むことで、自分が何をしたいのかも見えてくるでしょう。『正直』な自分を見つけるために、命がけでマンガを読み、映画やテレビ番組を観ましょう」

 

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提供:創価大学