ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)に日本代表として出場した福岡ソフトバンクホークスの大隣憲司投手が、難病に襲われ、まともに歩くことさえできない状況に追い込まれながらも、6月1日、2軍戦初勝利を飾った。復活へ向けての歩みと、高校時代の思い出を聞いた。(南隆洋/右写真:福岡ソフトバンクホークス提供)

 

「足裏の感覚が無い」

昨年4月、ロッテ戦での投球中、足の裏の感覚が無くなった。
 診断の結果、黄色靭帯骨化症。悪化すると下半身麻痺となる難病だ。過去発症したプロ野球選手が引退に追い込まれている。
 「まさか自分が?」と思いながらも、「手術すれば、(翌年の)開幕に間に合うかもしれない」と6月、全身麻酔での手術を受け入院。リハビリトレーニングに励むことになった。
 球を投げることもできない。ゆっくりと歩くことからスタート。ジョギング距離を少しずつ伸ばし、投球は、1カ月後、10メートル投げることから始まった。
 そして3カ月後、ようやく全力で投げることができるようになった。
 昨年10月22日、みやざきフェニックスリーグ(秋季教育リーグ)ロッテ戦で144日ぶりにマウンドに立った。1イニング5球で打者3人を打ち取った。
 当時3軍ながら「マウンドに立てる喜びを感じた。ストライクが入り、もっと投げることができると確信した」と言う。

連日猛練習だった高校時代

京都学園高校では投手で4番。だが、走るのが苦手だった。監督は「お前が引っ張るんじゃ。一周でもいいから先頭を走れ」と指示。言われた通り、懸命に走り続けると「体が動くようになった」と言う。
 猛烈なインターバルトレーニングに励む毎日。練習は深夜まで続き、朝も早かった。
 3年の春、近畿大会で優勝。夏の甲子園を目指したが県大会ベスト8で敗退。悔しかったが「チーム一丸となってまとまった」素晴らしい思い出として残る。
 「高校時代は強い体をつくることが大事。けがをするとくやしい」と振り返り、「人生、いい時もあれば、悪い時もある。でも、常に前を向いて進みたい。地道に一歩ずつ」と現役高校生にアドバイスする。

「勝負できる」 1軍復活へ

ファームでリハビリに取り組む中で「若い人たちの必死さ、ひたむきさに学び、若返った」と言う。往時の150キロ超のスピードは出ないが、「キレと伸びで勝負できる」。
 インタビューした5月27日、2軍に昇格。そして、6月1日、中日戦で、手術後初先発。5回を投げ切り無失点で今季初勝利を挙げた。決してあきらめない努力は、「1軍復活」の扉を開き始めた。「一人だけではできない。嫁さんもいるので、家族のためにも」と頑張る。

黄色靭帯骨化症とは
国指定の難病で、脊髄の後にある椎弓と言われる部分をつないでいる黄色靭帯が骨化して脊髄を圧迫する。足の感覚が無くなり、正常に歩くことが出来なくなる。

大隣憲司(おおとなり けんじ)
1984年11月19日生まれ。京都学園高から近畿大へ。全日本大学選手権2回戦で19奪三振を記録。同選手権準優勝、関西学生リーグ3連覇に貢献。「江夏(元阪神のエース江夏豊)2世」ともてはやされ、2007年、大学生・社会人希望枠でソフトバンク入団。背番号は江夏と同じ「2 8 」。2012年、25試合に登板し12勝8敗で、翌年のWBC日本代表(侍ジャパン)に選ばれ2試合に先発。身長175センチ、体重85キロ。左投げ左打ち。