村田さん(後列左から3人目)とカンボジアの工房で働く女性たち(写真提供・かものはしプロジェクト)

子どもが売られる問題を解決しようと、大学在学中に「かものはしプロジェクト」を立ち上げた村田早耶香さん。カンボジアの貧しい農村に工房をつくるなど、精力的な活動を続け、被害者の減少に大きく貢献してきた。どうやって問題を解決してきたのか。高校生記者2人が取材した。(聞き手 高校生記者・北本真唯、平岡亜美)

新聞記事

──活動を始めた動機を教えてください。

私が子どもが売られる問題を知ったのは、国際問題を勉強していた大学2年生の時でした。授業で、1万円で売られた自分と同年代の女の子の新聞記事が出てきたんです。家族を養うためにミャンマーからタイに12歳で出稼ぎに出たら、それが売春の仕事だった。閉じ込められて毎日売春をさせられ、エイズを発症した。「学校に行って勉強をしてみたかったな」と言ってエイズで亡くなった女の子がいることは衝撃的でした。

さらに調べたら、18歳未満だけで、毎年180万人が被害者になっていることが分かりました。「放っておけない」と思い、活動を始めました。

売らせないために仕事を提供

──最初にカンボジアに行った時、どのような状況でしたか。

子どもの被害者を保護する施設では、5、6歳の子どもが愛情表現が何かも分からずに保護されていました。低年齢の子どもたちを買うのは、外国人だと聞きました。非常に混沌としていました。

──どのような人が売られやすいのですか。

都市部の貧困層よりも、情報も土地も持っておらず、出稼ぎに出ないと暮らせないような農村部の人たちです。特に、親がおらず、兄弟姉妹だけの世帯と、お母さんしかいない世帯が多いです。

──どのような活動から始めたのですか。

最初は、都市部の孤児院で保護されている子どもたちにパソコンの教育などをしていました。社会貢献事業としては意味がありますが、一番ターゲットになっていた、出稼ぎに出ないと暮らせないような農村の人たちを守る活動をしないと解決しない。それで、農村での活動を始めました。

──農村ではどのような活動をしているのですか。

農村に住んでいる、売られやすい最貧困層の人たちは、生きていくのにぎりぎりの生活をしています。そういう家庭の女性を「コミュニティファクトリー」という工房で雇い、イグサの雑貨を作っています。家庭の生活状況を変え、お母さんの収入で家族がおなかいっぱい食べられて、子どもが学校に行けるようにする。そして、お母さんも働きながら学べるようにするためです。これまで約200家庭の最貧困層の女性たちを雇用しています。

──コミュニティファクトリーで働きたい人は最初から集まったのですか。

前の工房の時は、村長さんや村人の面倒を見る人の協力を得ずに始めようとしたら、初日に3人しか来なかった。だから今の工房では、村長さんや村の有力者の協力を得よう、何かあったら一緒に問題解決をしようとしたら、比較的うまくいき始めました。

──育った国や環境がまったく異なる人とどうやって一緒に活動するのですか。

うちのカンボジア事務所は3人が日本人ですが、23人はカンボジア人です。カンボジアの文化をよくわかっているその人たちが実際に村を訪問しています。基本的にはカンボジアの人と一緒に解決するようにしています。

──商品は売れるのですか。

1年で約2600万円の売り上げがあります。ただ、使っているお金に対し、なかなか収入が追い付いていない。給料を払うだけではなく、無料で給食を提供し「野菜を食べると病気になりにくくなる」などと教えたり、医療を受けられるように保険に入ってもらったりしているからです。今、もう少し単価の高い商品を売ろうと、新しいデザインのものを作っています。

また、急にお金が必要になったときに借金して出稼ぎに出てしまわないように、全員の銀行口座を作り、貯金を推奨しています。

──雇われた人たちは、ずっと工房で働くのですか。

農村の貧困層に提供される仕事が少なかったのですが、今は日本の企業もどんどん出てきていて、カンボジア人を1000人くらい雇ったりする企業も出てきました。そちらに紹介したほうが職業の幅が出るので、2年間うちで働いて、その後紹介していくということを最近は始めています。

──活動の中で最も苦労したことは。どうやって乗り越えましたか。

最初にカンボジアに行ったとき、夜道を歩いていたら誘拐されそうになったり、ボランティアの人が狙われたり、だまされたりすることもありました。その時にすごくカンボジアが嫌になって、「帰ろうかな」と思った時がありました。そのとき、「被害に遭っている子たちは何も悪くないし『誰かに頼まれてここに来ているのではない。売られる子どもを無くすための活動をしたい』と、自分の意思で来ているんだ」と思い直したんです。すると、いろんなことが許せるようになった。「助けてあげよう」とおごっていたと気づいた時に、いろんなことの見方が変わって、許容できるようになり、続けることができました。

──一番うれしかったことは。

カンボジアの状況が良くなったことですね。最初のひどさを知っているだけに、今行った時の、全然問題がない感じは、「やってきてよかった」と思います。

高校生記者の質問に答える村田さん(左)

高校生も募金で支援

──今後、どのような活動を考えているのですか。

次に状況がひどい国といわれる南アジアのインドに活動を広げています。児童買春の犯人を捕まえたとしても、裁判で有罪になっていないのが、インドの一番の問題点です。被害に遭った子が回復し、経済的にも生活できるようになって初めて裁判で闘うことができる。そのための支援をしています。

──お金は、寄付として集めるのですか。

そうです。日本からいただいている寄付を使って裁判のための弁護士さんの費用や交通費を出したり、被害に遭った子がカウンセリングを受けるための費用や村の中にお店を作って雑貨を売ることで生活できるようにするための支援などに使っています。

──高校生にできることはありますか。

これまで、高校生たちが街頭募金活動を3回してくれました。私たち大人よりも、高校生の方がたくさん募金を集めました。最初の年は、80人くらいの高校生がたった2日で45万円くらい集めてくれました。現地にとっては大きなお金で、すごい貢献をしてくれました。

ほかにも、学校での募金活動や、校内のバザーで商品を売ってくれたり、講演会を企画してくれたり、という協力をしてくれたことがあります。

──すぐ行動するのが難しい高校生には何ができますか。

例えば、関連する本を読んでみるとか。あとは、当団体でも活動について伝える会が週1回以上あるので、参加してみるとか……。まずは、本を読む、話を聞く、何か活動に参加するという方法があると思います。

──現地に行くとどんなことが分かりますか。

旅行会社がスタディツアーを企画していて、今までたくさんの大学生や高校生が工房にも来てくれました。例えばフィリピンやカンボジアにある焼却炉をつくるお金がなくてできたゴミ山で、3歳くらいの子が裸足でゴミを拾っていたりする。そこに大学生を連れて行った時に、すごくショックを受けていた。その子は「自分の悩みはすごく小さかったな」と。世界を知ることで、「自分がいろんなことにチャレンジできる状態なんだ」と気付いたりとか。現場を見るのはすごく大事だなと思います。

──NPOに興味のある高校生にアドバイスをお願いします。

高校生も大学生も興味のある子が学校に何人かいても、周りの子は興味がなかったり、近くに国際協力に関心のある仲間が見つからないという子も居るよう。そういう人が集まる場所に行くと「こんなにいるんだ」と言う。講演会など、集まりに行くと、仲間が増えて、情報も入ってくる。出られるだけ出て行ったらいいと思います。

──NPOに向いている人は。

企業をひとくくりにできないように、団体によってやっていることは違う。日本の事務所か途上国かによっても必要な力が変わります。向き不向きはそんなにありません。働いている人も多様な経験をしていて、国際機関にいた人もいれば企業にいた人もいる。私のように学生からやっている人もいる。強みもさまざまです。

インドで活動をバリバリする人の英語力、突破力は、他の人にはまねできない。逆に日本にいる人は、私のように講演をして応援してもらうのが役割。お互いに補完しあっている。いろんな人が協力をして活動して成果を出すことがNGO・NPOでは必要だと思います。

──私たち高校生に一番何を伝えたいですか。

私はいま34歳なのですが、仕事をしながら思うのは「いろんな人と協力して何かを成し遂げる力を持っている人がこれからは強いんじゃないかな」ということです。協力できる人であれば、この先いろんなところで活躍できると思うので、友達をつくるとか、部活でみんなで頑張っていくとか、文化祭でみんなで成し遂げるとか。勉強ができるだけが全てではない。むしろそういう力を伸ばした方がよいのかなと思います。


 取材を終えて 

村田さんのお話をうかがい、日本と同じアジアの国の中に小さな子どもたちが強制的に売られていく状況があることを知った。同時に大学生から「子どもの人身売買」の問題に取り組む村田さんの行動力に刺激を受けた。カンボジアに行った際に恐怖を感じたことがあったにもかかわらず、「被害にあっている子どもたちが悪いのではない」「自分の意志できた」と困難を乗り越えた村田さんに感動した。

インタビューを通して、自分も実際に発展途上国に行き実際に現地の人々の役に立ちたいと思った。また、その際に自分が助けていると思うのはなく常に自分の意志で活動しなければいけないと感じた。村田さんのような解決策を考えるだけで終わらず、問題解決にあたって行動に移せるような人間になりたい。

(高校生記者・北本真唯)


 印象深かったことは、村田さんが大学の授業中に子どもが売られる問題について知ったときに「自分と同い年くらいの子達が生まれた場所が違うだけで、なんでこんなに苦しまなくてはならないのか」と感じたというところだ。

本当にこの問題を憎んでいるからこそ、村田さんはここまでこの問題に大きく変化を起こし、たくさんの女性を救えたのだと実感した。今まで自分はかわいそうだと思うだけで、とても未熟だったと痛感した。また、もうやめたいと諦めそうになったときに、「被害にあっている子は悪くない」「自分の意志で決めたことじゃないか」「自分はおごっていたのだ」と原点に立ち返り、また戦う姿に感動した。

(高校生記者・平岡亜美)

 
むらた・さやか
 1981年生まれ。東京都出身。2002年、フェリス女学院大学在学中に大学生3人で「かものはしプロジェクト」を設立、共同代表になる。著書に『いくつもの壁にぶつかりながら』(PHP研究所)。
かものはしプロジェクト
2002年に任意団体として設立。04年からNPO法人。職員は日本に14人、カンボジアに26人(うちカンボジア人が23人)。大学生のインターン制度もある。ウェブサイトに支援・参加の方法を掲載。