海中の移動を知るために背中に発信機を装着されたゴマフアザラシ

くりくりした目と、のんびり横たわるユーモラスな姿が人気のアザラシ。水族館などではアイドル的存在です。でも、野生のアザラシが生息する北海道では、可愛いとばかり言っていられない深刻な問題が起きています。国内で唯一、野生のアザラシを専門的に研究している東京農業大学アクアバイオ学科の小林万里教授にお話を伺いました。

アザラシの生態を解明

「アザラシはクジラやイルカなどと同じ海生哺乳類です。ただし、100%海の中で暮らしているわけではなく、繁殖や出産は陸に上がって行います。実は、元々は私たち人間と同じように陸地で暮らす動物だったんですよ」と小林教授が教えてくれた。
 でも、どのように進化して海に適応していったのかはわからない。アザラシの生態にはまだ解明されていない部分が多いのだ。そこで小林教授は、アザラシの海中での行動や食性、個体数、漁業に与える影響など、さまざまな面からアザラシを研究している。また、アザラシを通して海の環境変化を見ていくことも研究目的の一つだ。
 「野生動物の研究にはフィールドワークが不可欠ですが、東京農業大学のオホーツクキャンパスはアザラシの研究フィールドと陸続きなので、すぐに現場に駆けつけられる。研究には絶好の環境です」。例えばアザラシの個体数を調査する際には、陸上からはもちろん船や飛行機からもアザラシの姿を追う。時には観察のために無人島で半年間過ごすことも。週に1度食料を運び人員も交代するが、中には半年間滞在し続けるタフな学生もいるというからビックリだ。「めったに行けない場所に行けるのも、この研究の魅力です」

 

人間とアザラシの共生を考える

小林教授が主に研究しているのは、北海道で多く見られるゼニガタアザラシとゴマフアザラシ。ゼニガタアザラシは定着性が高く、1年中北海道太平洋沿岸部の岩礁で暮らしている。一方、ゴマフアザラシはオホーツク海南部に流氷がやってくる冬に北から来遊し、氷上で出産や子育てをした後、北へ帰る。
 かつては人間が毛皮や肉を利用していたことから、アザラシの数は1970年代に大きく減った。しかし、その後代替品ができたり鳥獣保護法が適用されたりしたため、近年は増加の一途をたどっている。そしてそれが今、北海道の基盤産業である漁業に大きな被害をもたらしているのだ。「定置網は魚のいけすのようなものですが、そこに行けば簡単にエサが獲れることをアザラシが学習し、網の中に入って魚を食べてしまうんです。網以外では、資源保護のために残すべき小さな魚まで丸呑みにしてしまうので、被害はより深刻です」
 また、アザラシの生態にも変化が起きている。北に帰るはずのゴマフアザラシに、「長期滞在型」や「定住型」が増えているのだ。「漁業があるからどこでも生活できるし、地球温暖化で流氷が減り、以前は流氷に阻まれて行けなかった海域にも行けるようになった。個体数が増え、生息域を広げる必要があった彼らにとっては都合がよく、被害量も被害地域も増える一方です」
 被害を食い止めるべく、小林教授はアザラシが嫌がる音を海中で鳴らし、網に近づかないようにする装置の開発にも取り組んでいる。しかし、抜本的な対策としては、やはりアザラシを管理し、適正な数にしていくことが必要だと話す。「最近、日本各地でシカによる農作物被害が問題になっていますが、同様のことが海でも起きているんです。それは巡り巡って私たちの食生活に関わってきます。人間の生活圏と野生動物の生息域が重なる場所で、両者はどう共生していけばいいのか。『かわいい』『管理するなんてかわいそう』と、アザラシの一面だけを見て思うのではなく、こうした現状も知り、多角的に考えてほしいですね」

アザラシの脂肪を産業に生かす

小林教授は将来的にアザラシを資源として有効利用することを目指している。そこで着目したのが、なんとアザラシの皮下脂肪。これまでの研究で、コレステロールや中性脂肪を抑える働きなどがあるといわれている「不飽和脂肪酸」が豊富に含まれていることがわかったそうだ。また、撥水性も非常に高い。こうした特性を生かし、企業とも協力しながら産業に結びつけていきたいと語る。
 小林教授は愛知県出身。野生の生き物を研究したくて北海道で大学生活を送った。実は、アクアバイオ学科の学生にも関東圏出身者が多いそうだ。「大学時代は人生で一番自由な時間。重要なのは、その時にどれだけ多様な経験を積んでおくかです。都会ではできないことを、ぜひ、このオホーツクの地で経験してほしいと思います」