世界陸上で準決勝に進み、世界から注目された(8月、北京=中村博之撮影)

2015年、最も注目されたアスリートの一人が陸上短距離のサニブラウン・ハキーム(東京・城西2年)だ。今年初めてシニアの大会に出ると、6月の日本選手権で100メートル・200メートルともに2位。その勢いのまま7月の世界ユース選手権で2冠、8月の世界陸上出場と飛躍を遂げ、国際陸連の年間表彰では新人賞に選ばれた。来年のリオデジャネイロ五輪出場を視野に入れるサニブラウンに迫った。
(斉藤健仁)

世界の舞台も「緊張しない」

この1年、日本の高校生サニブラウンが文字通り、世界の舞台を駆け抜けた。特に世界を驚かせたのは7月、コロンビア・カリで開かれた世界ユース選手権だった。

100メートルに続いて、得意とする200メートルでは20秒34の好タイムで優勝し、2冠を達成。しかも、五輪で2大会連続3冠の「ジャマイカの英雄」ウサイン・ボルトがユース時代にたたき出した大会記録20秒40を塗り替えた。

現地に入るのに、日本から飛行機を乗り継ぎ24時間かかった。時差もあった。しかも1000メートルの高地。それでも、しっかりと自分のレースを披露した。「久しぶりに同じ年代の選手たちとのレースだったので緊張しなかったですね。楽しかった!」と、強心臓ぶりを発揮した。

学校では普通の高校生

今年、速くなった理由を尋ねても、本人は「分からない」と首を横に振る。練習時間は、陸上部のほかの部員と同じ、放課後3時間ほど。朝練習や昼練習はない。「短期集中型です!あまり練習が好きではないので、部活が終われば早く家に帰ります」と笑う。

高校では普通クラスに在籍。ほかの生徒と同じように授業を受け、定期試験前は練習を休む。好きな教科は英語。世界大会では海外メディアの取材に英語で答えた。授業中に集中して勉強する。陸上から離れれば、格闘ゲームを楽しんだり、漫画を読んだりと普通の高校生と変わらない。

サニブラウンを中学1年生の時から指導する、シドニー五輪400メートル出場者の山村貴彦監督は「大舞台になるほど強い」とメンタルの強さに目を見張る。

山村監督は「あくまで高校生。勉強をしっかりやらせています」と、サニブラウンとほかの部員とで対応を変えることはしない。「中学時代は身長が伸びていて、成長痛もあって、あまり練習させませんでした。高校では成長痛もなくなり、筋肉も付いてきて、練習もしっかりしています」と、体ができてきたことが記録に結びついたと見ている。

飛躍のきっかけは5月

6月の日本選手権では100メートル、200メートルともに2位に入った。全国高校総体(インターハイ)の100メートルでは2位だったが、「自分の専門分野。勝たなきゃいけない」と臨んだ200メートルを制覇。8月に北京で開かれた世界陸上では予選で2着に入り注目されたが、準決勝で敗退し、憧れのボルトと走ることはなかった。連戦や移動が続き、「さすがに疲れていましたね」と振り返る。

ただ、この1年間で最も印象に残ったレースを問うと「(5月の)静岡国際です」と意外な答えが返ってきた。静岡国際陸上大会は、初めて大人と一緒に走ったシニアのレース。200メートルで優勝したことが大きな自信となり、その後の結果へとつながった。

リオ五輪目指す

高校生ながら日本の陸上短距離を代表する選手の一人に成長した。「こんなに有名になるとは思わなかった。注目されるのは恥ずかしいですね」とはにかむものの、自覚は十分にある。「100メートルより200メートルの方が得意です。ただもっとスピードを付けたい」と、冷静に自分を見つめる。今は直近に大会がないため、筋力トレーニングや足を素早く上げる練習を重ねて来年に備える。

この1年の成長を「自分の頑張りもあるし、周囲にも助けられた」と振り返る。将来の目標は、世界記録の更新と五輪での金メダル獲得だ。2020年東京五輪は大学4年生で迎える。そのためにも、来年、高校3年生で迎えるリオ五輪には「出てみたい」とキッパリと語った。リオでの経験が、きっと東京での飛躍につながるはずだ。

サニブラウン・ハキーム 1999年3月6日生まれ、東京都出身。母の勧めで小学3年生から陸上を始める。城西中卒業。世界ユース選手権では200メートルで20秒34の大会新記録を出し、100メートルと2冠を達成。8月のインターハイでも200メートルを制した。リラックス法はゲームと漫画。最近のお気に入りの漫画は「グラップラー刃牙」。187センチ、76キロ。