宮本さんと篠田さん。作品名「私は地獄に迷い込んだんじゃろうか」は篠田さんの言葉から付けた

基町高校(広島)美術部の有志が、被爆者から印象に残った場面を聞き取り、1年かけて油絵の作品に仕上げる「原爆の絵」に取り組んでいる。宮本陽菜さん(3年)は、被爆経験の証言者である篠田恵さんと、何度も対話しながら絵の制作を進めてきた。 (文・写真 木和田志乃)

「思い出すよ、あの日を」

6月中旬。同校の油絵教室で篠田さんが完成間際の絵を見ながら「よく描けてますね。でも、人がぼやっとしてるかな。前の2、3人だけでも目や表情をはっきりと。もう少し怖さというか。皮膚は、何が下がってるのか分からない」と要望する。宮本さんが「下がったものは何色ですか?」と質問をすると「白っぽい。思い出すよ、あの日のことを」と篠田さんは振り絞るようにつぶやいた。

11年前に広島平和記念資料館が同校に制作を依頼したことがきっかけで始まった取り組みだ。これまでに126点が制作され、今年は14人の生徒が携わっている。

消えない恐怖心に触れた

爆心地から2.8キロ地点に住んでいた篠田さんは、原爆投下でやけどを負った母と弟を運ぶために親戚の家に荷車を借りに行った。絵はその帰り道、服はボロボロ、手の皮を垂らしたまま市内中心部から逃げてきた被爆者たちの集団に遭遇した時の様子を描いている。

2人の打ち合わせは10回を数え、篠田さんは毎回「この人たち(被爆者の集団)はどこから来たんだろう」「私は地獄に迷い込んだんだろうか」という言葉を口にした。そのたびに宮本さんは「本当に怖かったんだな」と篠田さんのいまだに消えることがない恐怖心を感じたという。

悲惨な状況、目そらさず

体験したことのない光景を描くために、宮本さんは白黒の写真などを見て想像した。被爆者たちのあまりに悲惨な状況を目にして気分が悪くなることもあった。しかし「証言者の話をはっきり残したい」という気持ちが勝った。構図を横から縦に変えて人物を大きくし、原爆投下から2時間がたって明るくなってきた空を、リアリティーを失わずに緊張感のある色に微調整するなど、篠田さんが感じた恐怖に近づけ、そして見た人にも分かりやすくなるように何度も描き直した。

小学生のころから原爆被害について学んできた宮本さんは「『原爆の絵』の制作を通じて、知らないことがこんなにもあると分かった」と振り返り、「制作の過程で、表現する重みを学んだ。そのことを忘れず、今後も油絵を描いていきたい」と決意を新たにしている。