市岡(大阪)硬式野球部ナインが、伝統を身にまとい今に挑む。同校OBの宇賀神充利監督(40)に率いられ、夏の大会に向けてチーム力を凝縮するため、汗にまみれている。 (文・写真 宇佐見英治)

エースは口数が多い。「投手はマウンドであまりしゃべらないものでしょうが、僕はしゃべる方。そうしてチーム全員で守り、勝っていきたい」と、左腕の正木康平(3年)=大阪・大正西中出身=は言う。シートノックなどで、ずっと注意点をナインに語りかける。宇賀神監督も「正木は試合中、捕手の杉村克彦(3年)=同・北条中出身=とよく話をし、頭を使った投球をします」と評価する。

レギュラーのほとんどが3年生の現チームは、昨秋と今春の大阪大会で、いずれも初戦負けした。しかし、春の高知遠征で高知商、高知中央といった伝統校や実力校に勝っており、宇賀神監督は「大阪でベスト8に入る力はある」とみている。今の市岡に足りないものは、公式戦を勝ち上がっていく経験だ。夏の地方大会に1915年の第1回大会から〝皆勤〟している高校は全国に15校あるが、市岡はその一つであり、大阪では唯一。あと1勝で夏の大阪大会200勝を達成する。選手たちは野球部に入部した瞬間から、重厚な歴史に触れる。春11回、夏10回の甲子園出場。大阪の公立高校の甲子園出場は、95年の選抜の市岡が最後だ。

市岡が球史に刻む動きは、そのつど注目を浴びる。そんな視線を感じながら宮久保亮主将(3年)=同・此花中出身=は「秋、春と悔しい思いをしたので、全員が勝つことへ意識を高めています」と自分たちの足元を固める。正木は「このチームは雰囲気が勝敗を左右する。いい雰囲気をつくって勝っていきたい」と力を込めた。エースのグラウンドでの口数がさらに多くなっていく。市岡独特の野球帽で戦う夏、2013年版のページがめくられる。

市岡は1901年、旧制の大阪府第七中学校として創立。大阪府の旧制中学校は現校名で北野、三国丘、八尾、茨木、天王寺、岸和田、市岡、富田林の順でできた。大阪市内では北野、天王寺に続き市岡が三番目の旧制中学校で、野球帽の三本線はこれを表している。

チームデータ

1906年創部。部員47人(3年生20人、2年生19人、1年生8人=マネジャー4人含む)。放課後に学校のグラウンドを使えるのは週1、2回。土、日は練習試合などでチーム力の向上を図る。広岡知男(元朝日新聞社社長)、佐伯達夫(元日本高野連会長)ら4人のOBが野球殿堂入りを果たしている。