元バレーボール選手の大山加奈さん。東京・成徳学園(現・下北沢成徳)在校時に全日本メンバーに選出されるなど、誰もが認める実力の持ち主だった。しかし、恵まれた体格を生かした派手なプレーとは裏腹に、性格は地味で引っ込み思案。そんな自分がもどかしかったという。 (田中夕子)

期待の大型エース 

180センチを超える身長とパワーを生かしたスパイクで注目を集めた高校3年時、初めて全日本メンバーに選出された。何を期待されているのか分からないまま出場した世界選手権は、日本女子史上最低の13位に終わる。

「先輩方は『大変なことをしてしまった』という空気でしたが、私はそれすら分からなかったんです。ただ、大舞台でバレーができて楽しいという気持ちしかありませんでした」 代表チームの成績は振るわなかったが、世界選手権でのプレーが認められ、直後のアジア大会ではスタメンに起用された。

遠慮して叱れない

全日本の活動と並行して、高校では3年時に主将を務めていた。実力は申し分なかったが、性格は地味で引っ込み思案。思ったことを、なかなか口にすることができなかった。同じ部に所属していた1歳下の妹から「もっと周りを叱ってよ」と怒られてしまうこともあった。
 高校最後の戦いとなった国体の直前練習。成徳は全国高校バレーボール選抜大会(春高バレー)、全国高校総体(インターハイ)に続く3冠制覇を目標に掲げていたにもかかわらず、部員の練習態度は集中力に欠け、ダラダラしていた。大山さんはそこで周囲を叱ることができなかった。「直前まで全日本の活動でチームを離れていたのに、急に戻ってきて偉そうに声を掛けていいものか……」

周囲と距離をとって自分の練習だけを黙々とこなす大山さんに、小川良樹監督の雷が落ちた。

「お前がやらないでどうするんだ」

常に優しく、むやみに声を荒らげることのない指揮官の喝は、胸に深く突き刺さった。 「私の弱さだけでなく、私がハッキリ言わないことで周りの選手がどこかギクシャクしていたのを監督は見抜いていた。あそこで叱ってくれたから、私も主将としてチームにスッと溶け込めて一つになれた。大きな転機になりました」

心に残るハッピーバースデー

国体では決勝まで勝ち進む。決勝の日は小川監督の誕生日でもあった。「勝って小川先生を胴上げしよう」とみんなで誓い合い、チームは3冠を獲得した。

主将として、選手として、一回りたくましくなった大山さん。試合後、喜びと安堵を胸に抱き、みんなで歌ったハッピーバースデーが、今でも深く心に残っている。

おおやま・かな 1984年6月19日、東京都生まれ。小学校、中学校、高校と全ての年代で全国制覇を経験。2002 年に全日本に初選出。世界選手権やワールドカップ、アテネ五輪に出場。10 年に引退。現在はバレーボールの普及活動に努める。187センチ。