「ソフトテニスといえば……高田商」と、校名が全国に轟いている。高田商ソフトテニス部男子は10月の国体で優勝、団体・個人合わせ積み重ねた日本一の回数を60とした。伝統となった強さの源を探りに行くと、学校のコート上に答えがあった。 (文・写真 宇佐見英治) 

大和川水系の葛城川が学校のすぐ東側を流れる。校内の北の一角にテニスコートが6面並ぶ。ボールをたたく音が続き、選手たちが掛け合う声は途切れない。

「他校の先生方が、どうしてこんなに元気なの?とおっしゃるんです」と、高田商出身で2006年から指導する紙森隆弘監督(38)が笑顔で語る。

 

部のモットーは「陽気で、元気に、ほがらかに」。 軟式庭球部と呼ばれた時代の1970年にインターハイ男子団体初優勝。当時の楠征洋監督(68、関大卒、前大和高田市教育長)が指導して3年で急激に強くなり、80年代終盤から西森卓也監督(52、天理大卒、現高田商教頭)が次々とタイトルを獲得させ、教え子の紙森監督(日大卒、前和歌山北監督)が引き継いだ。

強豪となり「2位では(周囲に)喜んでもらえない。部員にはかわいそうなところもありますが、そういう伝統、そういう学校になった」と紙森監督は語る。例えば現3年生は中学生の時に、2009年の年間9冠をマークした年代を見ていた。覚悟を決めて高田商にやってきている。

伝統は重い。それを背負うため、選手たちは苦闘する。本当に強くなるのは毎年夏のインターハイ終了後、2年生が最後の1年をスタートさせてから。紙森監督は「極端に成長します」と表現した。

 

塩田顯前主将(3年)=香川・善通寺東中出身=は「自分たちの代になって練習が充実したと感じました」と、この1年を顧みた。平日4時間の練習はあっという間に過ぎるという。 高田商の練習量は豊富だ。塩田は「日本一練習するクラブなので」と、当たり前のように話す。日本一へ、やらなければならないことが山とある。

「体力、技術というより、精神面で大人にしてくれた」。塩田が最終学年で得たことだ。「ここ一本というときに、今までと違う考え方ができました。それまでは、ミスしなければいいという丁寧なテニスだったのが、変わった。ここぞというときに、自分で仕掛けた方がミスは少なくなりました」。本当の強さを身につけた3年目だった。

超攻撃的な「かかっていく」スタイルがお家芸だ。厳しいサーブは武器の一つ。サービスエース、あるいはリターンエース、3本目までにポイントを取る……そのために、上から打つ威力のあるサーブを、1年を通して練習する。

新チームはすでに始動している。山口耕平主将(2年)=長野・三陽中出身=を中心に、高田商の伝統が受け継がれた。

【取材を終えて】ソフトテニスのゴムボールは、選手たちがラケットで伝えるエネルギーで、変形してコート上を飛んでいく。塩田前主将は「〝球技感覚〟は長けていると思います」と言っていた。高校トップレベルの30 人強が打ち始めると、球は生き物のようだ。あちらこちらに目をやりながら、飽きなかった。

【TEAM DATA】
創部/ 1956 年部員/男子32 人(3 年生13 人、2 年生11 人、1 年生8 人)、女子11 人(3年生5 人、2 年生4 人、1 年生2 人)、マネジャー6 人(3 年生3 人、1 年生3 人=いずれも女子)練習時間/(朝練習7 時30 分~ 8 時30 分)、平日16 時~ 20 時、土日8時30 分~ 19 時指導者/新子雅央総監督(56)、紙森隆弘監督(38)=男子、今井加織監督(23)=女子、浅尾卓司顧問(47)、谷博斗顧問(25)主な実績/今年は国体少年男子で3 年ぶり12 度目の優勝。1970 年インターハイ男子団体で初優勝し、2009 年の9 冠など、団体と個人での日本一は男子60 回、女子6 回。モットー/陽気で、元気に、ほがらかに